「世界一清潔な空港」として国際的な格付けランキングで4年連続1位に輝く羽田空港。

引用:https://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/s/enjoy/photo_gallery/page3.html
その立役者と言われているのが、清掃員の新津春子さん。

引用:https://www.shc.co.jp/book/event/yogoreotosi/
彼女は羽田を世界一清潔な空港に導きました。
今回、プロフェッショナル仕事の流儀にご出演なさるようですのでご紹介したいと思います。
新津春子のプロフと経歴
・名前 新津春子(にいつはるこ)
・生年月日 1970年
・出身地 中国

引用:http://www.asahi.com/world/china/sinyo/01.html
新津さんは中国の瀋陽にて生まれます。瀋陽は中国の東北地方の最大の経済都市になり人口は825万人、東北地方の経済、文化、交通、商業の中心です。
そんな彼女の父親は日本人、母が中国人です。

引用:http://manapedia.jp/m/text/3472
父親は第二次世界大戦にて日本に戻る事ができなかった残留孤児になります。
当時は日本への引き上げが間に合わず、中国に余儀なくされた日本人が数多くいるようです。
戦後、日本と中国の国交が無かった為、残留孤児は1972年の国交回復まで帰国者はいませんでした。
新津さんの父親は日本人ですが、なかなか帰りたくても帰れなかったようです、
しかし、その経緯があり中国で家庭を持ち、新津さんが生まれたわけですからね。
その後、新津さん一家は彼女が17歳の時、1987年に日本に帰国する事ができました。
しかしこの時に言葉の問題が起こります。
一家で帰国したものの、日本語が話せるのは父親だけでした。
新津さん一家はそれでも日本に戻って来たかったのでしょう。
彼女は当時17歳ですので日本で高校に通います。
しかし、日本に移住してすぐは生活が苦しかったようで、彼女はアルバイトを始めます。
そのアルバイトが清掃のバイトでした。
日常的な会話が可能の日本語ならば飲食やコンビニも有りかと思いますが、
新津さんの場合、留学に来てる学生とは違い、日本語が全く話せません。
そうなると、言葉をあまり必要としない、清掃の仕事となりました。
新津さんはその後、
ビルのクリーニングの講座を受け清掃やメンテナンスの知識を覚え、23歳で日本空港テクノ株式会社に入社します。
その2年後に全国ビルクリーニング技能競技大会で優勝します。

引用:https://www.media-links.co.jp/case/movie/423/
史上最年少、そして大会初の満点で優勝したようです。
このビルクリーニングの大会は2019年現在も開催されていて競技者数はわずか20名、というのも出場できる定員が20名らしくこの大会に出場できるだけでもすごいのでしょう。
新津さんはその後、清掃の技術を指導する立場となり活躍しています。
新津さんの現在は?

引用:https://blog.goo.ne.jp/megucono/e/727d55cb7b5e2cfb587041cc25224d56
彼女も年齢を重ね、立場も上になりました。
現在では、テレビ出演や講演会、後輩の指導、その活動は国内だけのは留まらず、海外にも行くそうです。
さらに本の出版もしていて多忙のようです。
しかし、彼女は多忙と思っていないらしく、むしろ楽しいと思うようです。
というのも仕事が楽しいと感じるのは最近の話ではなく、
全国ビルクリーニング技能競技大会で優勝してからだそうです。
最初、彼女の清掃の仕事のきっかけは生活費の為です、当初は自分の仕事が終われば問題無いと思っていたそうですが、
その時に当時の上司に厳しく指導されます。
仕事は誰かと一緒にしているもの、1人ではできません、当時の上司に優しさが足りないという事を教えられたそうです。

引用:http://blog.livedoor.jp/atsushi_trip/archives/2813849.html
羽田空港は年間8000万人もの方が利用しています。
しかも広い、その清掃を1人で完璧にこなすのは難しいですよね。
誰かと一緒に仕事はしているもの、互いに補いながら仕事をしていく、その優しさが必要というわけですね。
まとめ
世界一清潔な空港に選ばれ続ける羽田空港。その清掃は単に掃除が綺麗だけではなく、思いやりや優しさが溢れた清潔感のある空港のようですね。
最後までお付き合いくださりありがとうございました!
