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山田宗有(山田寅次郎) トルコの人々は日本の「とらじろう」を尊敬している理由とは?

山田寅次郎さんをご存知でしょうか?日本の実業家、茶人の方です。そんな寅次郎さんですがトルコ人からは尊敬される日本人として有名なようです。今回12月10日の「世界何故そこに?日本人〜知られざる波乱万丈伝〜」で紹介されるみたいですのでここにまとめでご紹介します。

山田宗有のプロフ

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%AE%97%E6%9C%89

本名山田寅次郎(やまだとらじろう)

日本の実業家、茶人。茶道宗徧流の第8世家元であるが家元継承以前の山田寅次郎の名で活躍した。

寅次郎さんは幕末の1866年に沼田藩用人、中村雄左衛門の次男として生まれます。8歳まで沼田で生活をし、維新後に上京します。

その後、寅次郎さんは宗徧流家元山田家に養子入りをします。

山田家の7世にあたる夫婦の間に子供が生まれなかったため、寅次郎さんが跡継ぎとして養子に迎えられたんですね。

茶道を継ぐ気がなかった?

跡継ぎとして養子に迎えられた寅次郎さんですが、茶道を継ぐ意思は弱かったようです。7世の山田宗寿さんが亡くなってからも襲名せずに、自ら言論界に入って行きます。

茶道の方は高弟(弟子の中で、特に優れた弟子)の中村宗知に任せていたそうです。

寅次郎さんは東京で書生として暮らしながら政治活動や出版事業をしていたそうです。

いや〜まさかの、茶道を継ぐ気が無いとは思いませんでした。しばらくしてから襲名するようですが笑

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エルトゥールル号遭難事件が発生

引用:https://jpreki.com/ertugrul/

1890年9月16日にトルコの軍艦エルトゥールルが和歌山県沖にある紀伊大島付近の海上にて遭難し、500名以上の犠牲者を出してしまいます。

この遭難事件は、トルコから数々の困難を乗り越え11ヶ月という長い月日をかけようやく日本に辿り着いたのですが、艦齢26年の老朽艦な上、補給品不足、乗員の経験不足から日本に辿り着いた事自体が、幸運だったようです。

帰途に出るのを止めた日本。

長い旅で蓄積した艦の消耗、乗員の消耗、物資不足と航海に耐えられないと思った日本は台風の時期をやり過ごすよう勧告しますが、この制止を振り切り行ってしまいます。その帰途中に事件は起きました。

日本は止めたんですね。11ヶ月の旅と蓄積された消耗では長い帰路は無理と判断したにもかかわらずトルコの方々は・・・・。悲しいですね。

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義捐金(義援金)を集める

当時、日本ではこの事件の衝撃が大きかったようです。そんな中、寅次郎さんは民間から義捐金(義援金)を集めて、犠牲者の遺族に寄付することを思い立ちます。

彼は親交のあった新聞社に働きかけて募金活動を行い、日本中で演説をし、2年で5000円(現在で1億円相当)の寄付を集めます。

ここで、茶道ではなく書生として活動していたのが役に立ちますね。人生わからないものですね〜。

そしてトルコへ送金しようとするのですが…

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トルコに行く事になる

引用:http://www.tourismturkey.jp/guide/istanbul/

トルコに送金をしようとしましたが、当時の外務大臣に直接届ける事をすすめられます。

そして、寅次郎さんは義捐金を持参してトルコの首都イスタンブールに到着します。早速外相を訪ねて義捐金を届けました。これにより遠い日本から民間人でありながら義捐金を自ら持ってきたことが知れ渡るとイスタンブールの官民から熱烈な歓迎を受けます。

そして皇帝に拝謁(お目にかかること)する機会に恵まれ、この時に彼が献上したのは生まれた中村家の甲冑と太刀です。

これは現在もトプカプ宮殿博物館に大切に保存、展示されているそうです。

いや〜素晴らしい話です。色々な要素があり、ここに繋がっているんだなと感じましたしこの活動、行動がトルコの方々に尊敬される日本人の理由なんですね!

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

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